「浄土三部経」(4)


 釈尊はアーナンダに、昔、過去の時、今を去ること無数劫(秀註=劫とは想像を絶するほどに永い時間のこと。または、天女の衣で大きな岩をなで、岩が摩滅して消滅するまでの時間を一劫という。または、一つの宇宙が誕生し消滅するまでの時間。なお、ヒンドゥ教では一劫は43億2000万年と言われている)の、さらに無数・広大・無量・不可思議の時に世に出られたディーパンカラ(然燈)という如来から遡り、80人の如来の名を告げられる。その最も古い如来はシンハ・マティ(獅子の思慮ある者)という名であった。シンハ・マティよりもさらに前にローケーシヴァラ・ラージャ(世間において自在である王、世自在王)という名の如来が世に出られ、かれは、正しく目ざめた人・神々と人間とを教える人・覚った人・世尊であった。
 釈尊は言う。アーナンダよ。かの敬わるべき人・正しく目ざめた人・ローケーシヴァラ・ラージャ如来が教えを説かれたときに、きわめて記憶力のある、理解力のある、叡智のある、きわめて努力精進する、高大な理解力のある、ダルマーカラ(法蔵)という名の修行者がいたのだ。(秀註=ダルマーカラはのちの阿弥陀如来である)