「経済学批判」(38)

 b 貨幣の通流 つづき
 貨幣流通の前提は商品流通である、しかも貨幣が流通させるのは、価格をもっている商品、つまり観念のうえではすでに一定の金量と等置されている商品である。商品の価格規定そのものには、度量単位として役だつ金量の価値の大きさ、つまり金の価値は、あたえられたものとして前提されている。だからこういう前提のもとでは、流通のために必要な金の量は、まずもって、実現されなければならない商品価格の総額によって規定される。しかしこの総額そのものは、(1)価格の度盛、つまり金で評価された商品の交換価値が相対的に高いか低いかによって、(2)一定の価格で流通する商品の総量によって、したがってあたえられた価格でおこなわれる購買と販売の総量によって規定される。たとえばイギリスのりっぱな精密調査によれば、イングランドでは穀物飢饉の最初の段階において、減少した穀物総量の価格総額が、以前の、数量が多かったときの穀物の価格総額よりも大きく、しかも同時に、ほかの商品総額の流通は、しばらくのあいだもとの価格で故障なくつづいていたために、流通する貨幣の総量が増加したことが証明されている。これにたいして、穀物飢饉のあとの段階では、穀物とならんでもとの価格で売られる商品が減少したか、または以前と同じ量の商品がもっと低い価格で売られるかしたために、流通する貨幣の総量は減少したのである。
 けれども、すでにみたように、流通している貨幣の量は、単に実現されなければならない商品価格の総額によって規定されるばかりでなく、同時に貨幣が通流する速度、つまりあたえられた期間内にこの実現の仕事をなしとげる速度によっても規定される。もし同じソヴリン貨が、同じ日にそれぞれ1ソヴリンの価格の商品を10回買い、したがってそのもち手を10回かえれば、このソヴリン貨は、1日にそれぞれただ1回しか流通しないソヴリン貨10個とちょうど同じ仕事をする。だから金の通流の速度は、金の量のかわりをすることができるのであり、いいかえれば、流通過程における金の定在は、単に商品とならび存する等価物としての金の定在によって規定されるだけでなく、商品変態の運動のなかにおける金の定在によっても規定されるのである。しかし貨幣通流の速度がその量のかわりをするのも、ある一定の程度までにすぎない、というのは、無限に分裂している購買と販売とは、どのあたえられた時点でもつねに空間的にあいならんでおこなわれるからである。