「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」(0)

ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日 (岩波文庫 白 124-7)

ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日 (岩波文庫 白 124-7)

 
 マルクスのこの著作は、1852年春、すなわちルイ・ボナパルトのクーデター直後に、マルクスの友人、ヨゼフ・ヴァイデマイアによりニューヨークにおいて発行された月刊誌『革命』に掲載され発表された。1848年の2月革命で始まり1851年12月の「ルイ・ボナパルトブリュメール18日」と呼ばれるクーデターで幕を閉じたフランス第二共和制の歴史的進行と、それが階級闘争の必然的な現われであったことを描きだしたこの書は、マルクスの歴史書であり、歴史の見方−−唯物論歴史観−−の一例示であり、今後の歴史の予言であり、闘いの烽火である。
 予備知識として、18世紀後半から19世紀にかけてのフランスの大事件を概観しておくと、
 1789年7月14日 バスチーユ攻撃(フランス革命の開始)
 1799年11月9日(革命暦霜月18日=ブリュメール18日) 
   ナポレオン・ボナパルトのクーデター
 1815年 復古王政 ルイ18世即位 土地ブルジョアジーの支配
 1830年 七月王政 ルイ・フィリップ即位 金融ブルジョアジーの支配
 1848年 2月革命 第二共和制 普通選挙権布告
   1848年12月 ルイ・ボナパルト、大統領に選出
   1849年 社会民主党結成
   1850年 普通選挙権廃止
 1851年12月2日 ルイ・ボナパルトのクーデター 普通選挙権の復活
 1851年12月19日 マルクス、本著作の執筆に着手
 1852年12月2日 ルイ・ボナパルト、皇帝となり、ナポレオン3世と号す


 実はこの書は当初、ヴァイデマイアからマンチェスターにいたエンゲルスに執筆が依頼されたものであった。エンゲルスはすぐさま、この依頼の手紙をロンドンのマルクスに送り、「こういうむつかしい論文は君にまかせる」といったという逸話がある。上述の通り、マルクスはただちにこの仕事に着手し、3ケ月で脱稿している。