柳宗悦「南無阿弥陀仏」(15)その4

法然 
 念仏せよ、酬いなき念仏はない。念々に応じるのが大悲の心である。浄土に生れたいと至心に念ずれば、必ず生れることが出来る、それを契っているのが「生れずば正覚を取らじ」との言葉である。既に仏が正覚を生じたということは、一切の者が浄土へ迎えられるとの契りなのである。称名で成仏を果たさせることが仏の本願なのである。だがこのことは何を意味するのか。念仏往生は本願に依っているのである。成仏の一切の泉は本願から湧き出るのである。人間が救われる前に、救いが成就され用意されているのである。