柳宗悦「南無阿弥陀仏」(9) その2

 慧心僧都源信「往生要集」
 念仏には二つの段階が考えられた。一つは心に仏を観ずること、即ち思念である。一つは口に仏を称えること、即ち称名である。彼は観仏が称名に優るものであることを疑わなかった。しかるに称名の上位をきっぱりと述べたのが法然上人である。
 「選択(せんじゃく)」の一巻は「要集」との隔りは大きい。
  称名の優位 観仏は念仏を自力に閉ざすこと
  他力の優位 自力は仏の働きをせばめるもの
   人間の力に功徳を見ることは、それだけ仏の功徳を狭い範囲に追いやるに等しい。