「経済学批判」(42)

 c 鋳貨。価値表章 つづき
 貨幣通流は外界の運動である、しかもソヴリン貨は、non olet《匂いでそれとわからない》とはいえ、雑多な仲間にまじってうろつきまわっている。鋳貨は、あらゆる種類の手や袋やポケットや財布や胴巻や金庫や小箱や大箱でこすられて身をすりへらし、あちこちに金の微量をくっつけこうして浮世の遍歴でかどがとれて、しだいにそのなかの実質をうしなってゆく。鋳貨は使われることによって、使いへらされるわけである。ソヴリン貨を、その生れながらの純な性格がまだほとんどおかされていないようにみえる瞬間にとらえてみよう。「できたてのソヴリン貨を今日あらたに銀行からうけとり、明日それを粉屋に支払うパン屋は、同じほんもののソヴリン貨を支払うのではない。それはかれがうけとったときよりも軽くなっている。」「鋳貨が、ありきたりの、しかもさけることのできない摩滅という簡単な作用のために、事物そのものの本質上、たえずしだいに減価しないわけにはいかないことはあきらかである。どんなときでも、ただの1日でも軽い鋳貨を全部流通からしめだすことは物理的に不可能である。」ジェイコブは、1809年にヨーロッパに実在していた380万ポンドが摩滅によって完全に消えさってしまったと推定している。だから商品が流通のなかに一歩ふみこむと、たちまちそこから脱落するように、鋳貨は流通のなかを二三歩あるけば、もうそれがもっているよりも多くの金属実質をあらわすわけである。流通速度がかわらなければ、鋳貨が長く通流すればするほど、また同一の時間内ならばその流通が活溌になればなるほど、鋳貨の鋳貨としての定在は、その金や銀としての定在からますますはなれる。のこるものは magni nominis umbra《偉大な名の影》である。鋳貨のからだは単なる影にすぎない。鋳貨は、最初は過程によって重みをくわえたが、いまや過程によって軽くなる。しかもどの個々の購買や販売でも最初の金量として通用しつづけてゆく。ソヴリン貨は、うわべだけのソヴリン貨として、うわべだけの金として、適法な金片の機能をはたしつづけてゆく。ほかのものは外界との摩擦によってその観念論を失うのであるが、鋳貨は実践によって観念化され、その金や銀のからだの単にうわべだけの定在に転化されるのである。流通過程そのものによってなされる金属貨幣のこのような第二の観念化、つまりその名目的内容と実質的内容との分離は、政府とか私的な冒険者たちとかによって、さまざまな貨幣悪鋳に利用される。中世のはじめから18世紀のずっとあとのころまでの鋳貨制度の全歴史は、結局こうした二面的でしかも敵対的な悪鋳の歴史に帰着する、そしてクストディの編集したイタリアの経済学者たちの大部の叢書は、多くはこの点についての論議なのである。