「経済学批判」(35)

 b 貨幣の通流 つづき
 商品流通 W―G―W は、その単純な形態においては、貨幣が買手の手から売手の手に、また買手になった売手の手から新しい売手の手にうつるという形でおこなわれる。これをもって商品の変態はおわり、したがって貨幣の運動も、それがこの変態の表現であるかぎり終了する。けれども、新しい使用価値が商品としてつねに生産され、したがってつねにあらたに流通に投げこまれなければならないのだから、 W―G―W は、同じ商品所有者のがわからくりかえされ、更新される。商品所有者が買手として支出した貨幣は、かれがあらたに商品の売手としてあらわれるやいなや、その手にもどってくる。こうして商品流通のたえまない更新は、貨幣がある人の手からほかの人の手へと、ブルジョア社会の全表面にわたって転々とするばかりでなく、同時に多くのさまざまな小循環をえがき、無数にちがった点から出発して、同じ点にもどりながら、あたらしく同じ運動をくりかえす、という形でうつしだされている。
 商品の形態転換が貨幣の単なる位置転換としてあらわれ、かつ流通運動の継続性がまったく貨幣のがわに帰するというのも、商品はつねに貨幣とは反対の方向に一歩だけ進むにすぎないのにたいして、貨幣のほうはいつも商品といれかわりに第二歩をすすめて、商品がAといった場所でBというためであるが、そうなると、全運動は貨幣から出発するようにみえるのである、だがそれにもかかわらず、販売のさいに貨幣をその位置からひきよせ、したがってまた貨幣を、ちょうど購買のさいに商品が貨幣によって流通させられるのと同じように、流通させるのは商品である。さらにまた貨幣は、つねに購買手段という同じ関連で商品にあいたいするのであるが、購買手段としては、ただ商品の価格を実現することによって、商品を運動させるにすぎないから、流通の全運動は、同時にならんでおこなわれる特定の流通行為においてであれ、同じ貨幣片がさまざまな商品価格を順々に実現することによってつぎつぎにおこなわれる流通行為においてであれ、貨幣が商品の価格を実現することによって、商品と位置をかえるようにみえる。われわれがたとえば W―G―W'―G―W"―G―W"' 等々を実際の流通過程ではみとめられなくなる質的要因を顧慮せずに考察するならば、同じ単調な操作だけがあらわれるであろう。Gは、Wの価格を実現したのちに、順々に W'―W" 等々の価格を実現し、そして商品 W'―W"―W"' 等々はつねに貨幣が去った位置にはいってくる。だから貨幣は、商品の価格を実現することによって商品を流通させているようにみえる。価格を実現するこの機能において、貨幣は、あるときはただ一度だけ位置をかえ、あるときはひとつの流通曲線を通過し、あるときは出発点と復帰点とが一致する小円をえがきながら、それ自身たえず流通するのである。流通手段としては、貨幣はそれ独自の流通をもつ。だから各過程をとおっていく商品の形態運動は、それ自体では運動しない商品の交換を媒介する貨幣独自の運動としてあらわれる。したがって商品の流通過程の運動は、流通手段としての貨幣の運動という形で、――貨幣流通という形であらわれる。