「経済学批判」(33)

 a 商品の変態 つづき
 商品所有者たちは、単純に商品の保護者として流通過程にはいりこんだ。この過程の内部では、かれらは、買手と売手という対立した形態で、すなわち、一方は人格化された棒砂糖として、他方は人格化された金として、あいたいする。そこで棒砂糖が金になると、売手は買手になるのである。だから両者の一定の社会的性格は、けっして人間の個性一般から生じるものではなく、生産物を商品という一定の形態で生産する人々の交換諸関係から生じるものである。買手と売手という対立には、ブルジョア的生産の敵対的な性質がまだきわめて表面的かつ形式的に表現されているだけであって、この対立が必要とすることは、単に個々人がたがいに商品の所有者として関連することだけだという点では、それはまた前ブルジョア的社会諸形態にも属しているのである。
 さて、W―G―W の結果をみると、それは素材転換 W―W に帰着する。[つまり]商品が商品と使用価値が使用価値と交換されたのであって、商品が貨幣になるということ、または貨幣としての商品は、ただこの素材転換の媒介に役だつにすぎない。こうして貨幣は諸商品の単なる交換手段としてあらわれるが、しかし交換手段一般としてではなく、流通過程によって特徴づけられた交換手段、すなわち流通手段としてあらわれるのである。
 有名なイギリスの経済学者ジョン・ステュアート・ミルの父であるジェイムズ・ミルはいう、「すべての商品にたいして買手がたりないということはありえない。ある商品を売るために提供する者は、つねにそれと交換にある商品をえようと欲しているのである。だからかれは、売手であるという単なる事実によって買手なのである。だからすべての商品の買手と売手とを総括すれば、形而上学的必然によって均衡がたもたれなければならない。だからある商品について買手よりも売手のほうが多いとすれば、ほかの商品については売手よりも多くの買手が存在するはずである。」と。ミルは流通過程を直接的交換取引に転化させ、しかもふたたびこの直接的交換取引のなかに、流通過程から借りてきた買手と売手という人物を密輸入することによって、この均衡をつくりだしているのである。かれの混乱した言葉を用いるならば、たとえば、1857−58年の商業恐慌の一定の時期のロンドンやハンブルクにおけるように、すべての商品が売れない時期には、実は、ひとつの商品、つまり貨幣の売手よりも多い買手がいたのであり、またすべてのほかの貨幣、つまり商品の買手よりも売手のほうが多かったのである。買手と売手との形而上学的均衡は、どの購買も販売であり、どの販売も購買であるということに帰着するのであるが、このことは、その均衡を売るのではなくしたがってまた買うのでもない商品の保護者にとっては、なんの特別ななぐさめにもならないのである。
 販売と購買との分離は、本来の商業とともに、商品生産者と商品消費者とのあいだの最終的交換にさきだっておこなわれる多くの空取引を可能にする。そこでこの分離は、多数の寄食者が生産過程にくいこんで、その分離をくいものにすることを可能にする。だがこのことは、さらにまた、ブルジョア的労働の一般的形態としての貨幣とともに、この労働の諸矛盾の発展の可能性があたえられるということを意味するものにほかならない。