「経済学批判」(24)

 第二章 貨幣または単純流通
 一 価値の尺度 つづき
 一商品の価格、あるいはその商品が観念のうえで転化されている金量は、いまや金の度量標準の貨幣名で表現される。そこでイギリスでは、1クォーターの小麦が金1オンスにひとしいというかわりに、3ポンド17シリング10ペンス2分の1にひとしいという。こうしてすべての価格は同じよび名で表現される。商品がその交換価値にあたえる固有の形態は、貨幣名に転化されており、その貨幣名によって商品は、たがいに自分がどれだけに値するかを語りあう。貨幣のほうでは、計算貨幣となるのである。
 1845年のサー・ロバート・ピールの銀行条例以前のスコットランドでは、1オンスの金が価格の法定尺度として役だっており、しかもそれがイングランドの計算度量標準と同じに3ポンド17シリング10ペンス2分の1で表現されていたにもかかわらず、実際には1オンスの金も流通してはいなかったのである。またたとえば、シベリアと中国とのあいだの商品交換では、実際の取引は単なる[物々]交換取引にすぎないのに、銀が価格の尺度として役だっている。だから計算貨幣としての貨幣にとっては、その度量単位そのものなりその小部分なりが、実際に鋳造されているかどうかはどうでもよいことなのである。
 価格の度量標準としての金は、商品価格と同じ計算名をもってあらわれるから、したがって、たとえば1オンスの金は、1トンの鉄と同様に、3ポンド17シリング10ペンス2分の1として表現されるから、金のこの計算名は金の鋳貨価格とよばれてきた。そこであたかも金がそれ自体の材料で評価され、またほかのどんな商品ともちがって国家によってある固定した価格をあたえられるかのようなおどろくべき考えがでてきた。一定の重さの金にたいして計算名を固定することが、この重さの価値を固定することだと思いちがいされたのである。金は、それが価格規定の要素として、したがってまた計算貨幣としての役割をはたすばあいには、単になんらの固定した価格をもたないばかりではなく、総じて価格というものをまったくもたない。