『白ゆき姫殺人事件』


 面白い、が、小さい。

 
 描き方として、まさに現在的。だが、その内実は、普遍的。だから、面白いし、小さい。まア、よくできたお話、というところか。ただ、ラス前のアンの通信(ローソクによる交信)や、オーラスの擦れ違いは映画的、と言っておこう。


 DCPによる上映だが、それには大変疑問を感じる。

『ニッポン無責任時代』

 BSで古澤憲吾監督62年作品『ニッポン無責任時代』を観た。

 この時代を知る者にとって、この映画は謂わばキワモノ、アダバナと思っていたが、いや全然違う、真実そのもの、一所懸命の人間の姿、美しい人生の一場面であったと言える。不動産バブルやITバブルに比べると、何と真面目なことか。うら哀しく、戦後をのり越えた時代を映している。映画は、時代と普遍性を映すものだから。

 山本晋也は言う植木の平等(たいらひとし)は「幕末太陽伝の佐平次」、なるほど平等は佐平次そのもの。
 小野文恵アナの楽しみ方も素敵、さすが東大卒。

『一遍上人』

 芝居のできないタレントを主役にするなど、もっての外。
 今まで観た中で、サイアク。

 『一遍上人』は映画になっていない。聖戒編『一遍聖絵』をモチーフにしていると思われるが、それならば、「一遍上人」ではなく、「一遍ひじり」であるし、ウドのようにブヨブヨなどしてはいない。芝居ができないというのは、単に台詞がしゃべれないだけではなく、ヘラヘラ笑うことしかできない、という意味だ。

 カメラも雑、仕事になっていない。尊敬する一遍ひじりに何と言うことをしてくれたのだ、と言いたい。

『麒麟の翼』

 東野圭吾の人間ドラマを、斯くも小さい、単なる刑事モノに貶めたのは、テレビだ。テレビ監督の力量では映画は無理だ。役者はみな、素晴らしい芝居をしているが、構成や演出や映像が、それに追い付いていない。

 と言ったところで、映画『麒麟の翼』、土井裕泰監督である。チラシやトレーラーで「最大の”謎”」と謳うところ、それは「家族を想う気持ち」のことだと思うが、そこが浅い。泣けることは泣けるのだが、やはりテレビ的以上のモノではない。惜しまれる。

 もう一つ言っておく。加賀は青島ではない。フジの真似はするな、TBSよ。

『逆転裁判』

 三池崇史監督作品『逆転裁判』。まったく予備知識なしで、つまりゲームをベースにしたものとは思いもせずに、観てしまった。まあ、イケるのではないか。
 パターンは分かってしまうし、キャラも分かるし、コイツが怪しいとも分かるし、そういう意味で安心して見られる、という感じはある。そしてほんのちょっとひねったところもあるのだが、映画を観ている充実感にはたどり着けない。もちろん、こういう軽いシャシンなので、映画としての重厚感を望んではいけないのだが、もう少し跳んでいた方がよかったと思う。『逆境ナイン』レベルの跳ね方が欲しかった。
 もともとこのシャシンを観る気になったのは、高宮駅、旧豊郷小学校でのロケ、という惹句に目が留まったから。